日本三天神のひとつである防府天満宮(ほうふてんまんぐう)では、学問の神様として知られる菅原道真公が祀られており、毎年8月2日から8月5日までの期間に御誕辰祭がひらかれています。
御誕辰祭とは菅原道真公のお誕生日をお祝いするお祭りで、西暦845年(承和12年)陰暦6月25日(現在の8月5日)のお誕生日には花火大会など毎年盛大にお祝い祭りがひらかれ多くの人で賑わいます。
小学生以下のお子さん達には無料で花火が貰えるようで、境内では小さな子供たちが手持ちの花火を楽しんでる姿が見えて微笑ましい雰囲気でした。
現代では子供たちの微笑ましい姿を見ることができる防府天満宮も、御祭神となる道真公の人生は平坦なものではなかったようです。
幼少のころより文学に秀でておられた道真公は、5歳のときには「美しや 紅の色なる梅の花 あこが顔にもつけたくぞある」と詠まれたと伝えられています。
11歳には「月夜に梅花を見る」の題で漢詩を作られるなど、幼いころから大変優秀な方で33歳には文章博士(もんじょうはかせ)にまでなりました。
その後、京都から讃岐国の長官に赴任され、善政に努めて多くの民に慕われることとなります。
京都へ戻った道真公は当時の宇多天皇の信頼篤く、55歳のときには遂に右大臣にまで出世されたのですが…
順風満帆に思えた人生も、西暦901年(昌泰4年)に藤原氏の陰謀により大宰府に左遷されることとなるのです。
道真公が京都から旅立たれるときに、ひとつの短歌が残されています。
「東風吹かば 匂ひおこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ」
春の東風が吹くようになったら、花を咲かせて香りを届けておくれ、梅の花よ、主人の私がいなくても、春を忘れないで欲しい。
庭前の梅の花に別れを告げた道真公は、大宰府へ向けての旅の途中に周防の国司土司を頼って勝間ノ浦に立ち寄ります。
そこで道真公は「此地未だ帝土を離れず願わくは居をこの所に占めむ」と言い残して九州へ旅立たたれたと伝えられています。
天皇のいらっしゃる京の都へ未だ地続きである当地に留まり、住まいを構えて無実の知らせを待ちたいと願った菅原道真公。
それより2年後の西暦903年(延喜3年)2月25日、無実の知らせを待ちながら太宰府でお亡くなりになられます。
そして、道真公が亡くなった翌年の西暦904(延喜4)年、日本で最初の天満宮として防府天満宮は創建されることになるのです。
時は現代に戻って防府天満宮御誕辰祭。
夜になると万灯際献花が行われ、2000余りのろうそくが光のカーペットのように石鳥居までを照らします。
ろうそくの灯りがゆらゆらと揺れて幻想的な雰囲気を出しており、多くの観光客がスマートフォンや一眼レフカメラを持参して撮影を楽しんでいました。
子供たちは境内で手持ち花火を楽しみながら笑顔になり、大人たちはそれを見て次の世代の健康や学力向上を願うのです。
菅原道真公がお亡くなりになって1000年以上の時が過ぎましたが、学問の神様として祀られ誕生を祝う祭りが人々の願いと共に今も継承されています。
防府天満宮へ観光で来られた方は、こちらへ行くのもおすすめです。
防府天満宮(Hōfu tenmangū)
所在地:山口県防府市松崎町14−1
電 話:0835-23-7700
FAX :0835-25-0001
アクセス
JR山陽本線防府駅から徒歩約15分
防府駅バス停天神口(北側)2番乗り場より阿弥陀寺行バスに乗車後、防府天満宮より下車して徒歩3分
防府東インターチェンジをおりて約10分(広島方面から)
防府西インターチェンジをおりて約10分(福岡方面から)